titilia enne hymmnos... 1



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「・・・・・・ミュゼット。まだ寝てるのか?」
扉の向こうでスクードが小さく呼ぶ声が聞こえた。
「ご、ごめんなさいスクード」
私は謝罪の言葉を述べながら、ベッドから起き上がった。
鏡を見ると心配していたほど髪も乱れておらず、これなら軽く櫛で梳くだけで良さそうだった。
寝巻きから天覇の制服に着替え、外に出ると眉を顰めて難しい顔をした背の高い私のパートナーが立っていた。
「いつも通り、起きるのが遅いな」
「・・・・・・ごめんなさい」
一応言葉では咎めているが、その実彼が怒っていないことを私は知っている。
部屋に踏み込んでこないのも、無理に起こそうとしないのも彼の優しさだと感じていた。
複合企業 <天覇>に勤める社員の中では彼の様なタイプは珍しい。
もっとも、優しすぎるのも社訓的に問題ではあるのだが。
(<エル・エレミア>教会の方が向いているんじゃないかな?)
副社長を代表とする社員のほとんどは私の様なレーヴァテイルには優しさなど微塵も感じさせない振る舞いをする。
酷い例になると暴力を振るい、まるで奴隷のように扱われたりもするらしい。
そういう点では、私はここに所属するものの中では幸せなのだ。
パートナーのスクードは私に絶対に暴力を振るわないし、酷いことを言われたことも無い。
私は密かに、優しいことでは有名な<教会>のラードルフ総司と同じくらいに彼を評価していた。
「どうした? ・・・・・・行くぞ。これ以上の時間のロスは本気でやばくなる」
じっと見つめていることに気づかれてしまったらしい。
「あ、うん」
私は先に歩き出したスクードに並んで歩き出した。





「一つ! 仕事には危機感を持ち、常に命を賭ける覚悟で望むべし!」
「仕事には危機感を持ち、常に命を賭ける覚悟で望むべし!」

アヤノ社長の気迫を持った声が大ホールに響き渡る。<天覇>で毎朝行われる朝礼、その社訓斉唱に私も参加していた。
壇上に立つのはアヤノ社長や会社の重役達。
その中で一際大きく存在を誇示しているのが副社長――ボルド・レード。
社内における、全レーヴァテイルの共通の敵であり最大の悩みの種である。
何故ならば、<天覇>内部の支持は社長であるアヤノと副社長ボルドで二分されていて、
レーヴァテイルを奴隷、酷ければモノ扱いするその大半がボルド派の社員なのだから。

「一つ! 依頼主を蔑ろにすることなく誠心誠意尽くすべし!」
「依頼主を蔑ろにすることなく誠心誠意尽くすべし!」

<天覇>には企業に付き物の悪い噂が多い。
エル・エレミア教会と違い民間企業であるため基本的には損得勘定で動くからだろうか。
実際否定できない部分も確かにあるのだが、そのほとんどはボルド派の社員かボルド自らが引き起こすものでその度に社長をわずらわせている。
それでも私は教会に行きたいとは思わなかった。
私はここに居て良かったと思えるし、ここには・・・・・・彼が居るから。
天覇に入社して初めてのパートナーが彼だったというのは本当に、運が良かった。
もしボルド派の社員がパートナーになっていれば今頃どうなっていたのか想像したくもない。

「一つ! 自分のレーヴァテイルに危機が及んだ際には身を挺して守るべし!」
「自分のレーヴァテイルに危機が及んだ際には身を挺して守るべし!」

この部分はレーヴァテイルや非戦闘員を除いた社員だけが斉唱した。
私は知っている。ここに居る社員の大部分がこの社訓を鼻で笑っていることを。
その筆頭である男は社長の目の前だからか、本性を表さず真面目な顔で白々しく社訓を復唱していた。

「以上、今日も一日各々の業務を怠らぬよう全力を尽くせよ。ああ、探索班の班長は今日の任務を受け取って退出するのだぞ。後、今から呼ぶ者は私の所へ来るように――」

社長の声がいつもの様に朝礼の終わりを告げ、張り詰めていた空気が徐々に緩んでいく。
がやがやと人が移動し始める中、任務表を受け取ったのか、気づけばスクードが目の前まで来ていた。

「じゃあ、行こうか」
「うん」



「くっ・・・・・・このっ!」
私に照準を定めていたレーザーはスクードを覆う強化鎧を焼いた。
頼りになる私のパートナーはほんの少し痛みの声を漏らしただけで躊躇無く敵の駆動部を切り裂いた。
声を出してスクードを応援したいけれど、私は謳っているからそういう訳にもいかなかった。
(もう少し頑張ってね・・・・・・!)
私達の目の前に立ち塞がったガーディアンは6体。
その内、出会い頭に1体はスクードの剣に斬り捨てられ、今また一体が爆発した。
つまり残る敵は4体。
スクードは<天覇>の社員の中でも優秀な遺跡探索員だがそれでも4体を一人では相手に出来ない。
「――まだか、ミュゼット!」
「大丈夫、もう出来た・・・・・・ヴェンタータ!」
私が紡いだ赤魔法で生まれた風の刃がスクードの前で押し留められていた敵数体をまとめて切り刻む。
真っ二つになって破片を撒き散らしながらガーディアンの群れが爆発する。
また崩れやしないか心配したけど、遺跡の壁が一瞬だけその光で照らされただけだった。
「・・・・・・やれやれ、なんとか終わったか」
「そう、みたい」
私達は新しく発見された遺跡の探索に来ていた。
二人だけで居るのは一緒に来たチームから逸れてしまったからだ。
先行していた私とスクードは突然起こった遺跡の崩落に巻き込まれてしまい、落ちてきた瓦礫により通路を塞がれてしまった。
今は別の出口を探している真っ最中。
遺跡が崩れて行方不明や死傷者が出るのは探索には付き物で、私も何人かの友達を失っていた。
私達の住むこの浮遊大陸には今居る様な遺跡や、大陸を浮かせている<塔>アルトネリコなんていう古い時代に作られらたロストテクノロジーが数多く存在している。
古いものだけあって、非常に壊れやすく、今の私達のように事故に遭う者も少なくない。
もっとも、塔だけは例外で大規模な損壊はほとんど無い。風化や浸食に代表される自然的な劣化が見られないのだ。
ただし、だからと言って危険が減るわけでもない。
塔を守るガーディアンは他の遺跡のそれよりも手ごわいものが多い。
それが無いだけこの遺跡はまだましなのかもしれないが――
「私達出られるよね・・・・・・」
つい、弱気になってしまう。気づけばそんな一言が口からこぼれていた。
「弱気は損気だ。心配するなよ。――お前は、俺が守るから」
そんな私を勇気付けるように背中を向けたままスクードが力強く、言った。
「・・・・・・うん」
頬に血が上るのを感じた。
気づいているのかいないのか、スクードは時々私を変に困らせる。
そんな場合じゃないのは分っているつもり。不謹慎なのかもしれない。
自分でも分らない内に、わざと弱気になっているのかもしれない。彼に甘えたくて。
(でも、嬉しいな・・・・・・)
私は出来るだけ小さな声でありがとう、と呟いた。
もちろん、彼は気づかなかったけれど。・・・・・・不思議と声が聞こえた気がした。
どういたしまして、と。





「なんだろう、これ・・・・・・」

あれからどれだけ経っただろうか。
出口を探していたはずの私達はいつしか随分深くまで来ていたらしい。
祭壇の様な不思議な場所を見つけた。
そこには昔話によくありがちな金銀財宝ではなく、一つの結晶が浮いていた。
「スクード、これなにか分かる?」
「・・・・・・」
スクードはさっぱりだ、と言わんばかりに首を横に振った。
「だよねえ」
その時、結晶が収められている台座に書かれている古代語――ヒュムノスワードが視界に入った。
遥か古代に滅んでしまった文明、その遺産の一つ。
もちろん私には読むことが出来ない。読むことが出来るのは極々一握りの人間のみ。
伝説では、塔の遥か上層に住むといわれるエレミアの使徒達はこれを使うことが出来るらしい。
(けど・・・・・・)
レーヴァテイルである私達はなんとなくそれが理解できる。
研究者たちは小難しいことを言っていたけどそんなのはどうでもいいことだった。
私が感じるところによると、それには危ない、とか触るな、とかいうメッセージが込められているように感じられた。
(――さわるなと言われれば触りたくなるのが人の常、よね)
そう思い私が指でつつこうとしたその時、小さく歌の様なものが聞こえた気がした。
まるで、警告のように。それに触れるなと言うかのように。
(気のせい、かな)
そして指先が結晶に触れた瞬間――私は異常な冷たさを感じた。
あまりの驚きに指を離そうと思っても、離れない。話せなかった。
体温を持たない物体の冷たさとは明らかに異質なもの。
まるで心を凍らされた様な冷たさ。私自身がどうにかなってしまいそうなそれは、恐怖だった。
目の前が真っ暗になるような感覚。
バクン、と心臓が鳴る音が聞こえた。
気づいてみれば何てこと無い・・・・・・私の心臓が震えていたんだ。結晶の中に秘められたそれに脅えて。
(――怖い)
結晶と繋がっている指先から私の体の中に何かが流れ込んでくる様な感覚。
それは私の中で静かに、激しく、囁いた。

「――憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い・・・・・・」

何度も、何度も。
私は耳を両手で押さえた。無駄だった。私の中で”声”は囁き続ける。

「憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い・・・・・・」

そしてその囁きは徐々にざわめく様な声に変わり、耳をつんざく様な絶叫へと私の中で変化していった。
私はまるで何かに攻め立てられているような妙な感覚。

(助けて、誰か。助けて――)





「――ゼット、ミュゼット! しっかりしろ!」
「ん、んう。スクード・・・・・・? あれ、私――」

――眼を覚ますと本当に顔がつきそうな距離にスクードが居た。
真剣な顔で。泣きそうな顔で。
必死で声を張り上げて、子供みたいだった。
でも私はそれをとても暖かく感じて・・・・・・気づけば、私の瞳からも涙が流れていた。

「良かった、気がついて、良かった・・・・・・」

私はそんな彼がとても愛しく思えて、頬に手を伸ばして涙をすくってあげた。
大丈夫だから、心配しないで。
そんな言葉で彼を慰めようとした瞬間。

「―――、ない」

また、あの囁き。今度は違うことを喋っていた。
それは、こう言っている様な気がした。

――私には、パートナーは要らない、と。

何度もその声が囁く。力強く、私に訴える。
涙が、止まった。暖かさが感じられなくなった。体が震えてくる。
「・・・・・・どうかしたのか?」
私の異変に気づいたのか、私のパートナースクードが声をかけた。
何も感じられない。最愛の人に声をかけられても何も感じられなかった。
(私、私どうしちゃったんだ!?)
どうしようも無い不安に包まれた、次の瞬間信じられないことが起こった。
両手が信じられない力で動き、スクードの肩をドン、と押した。
不意を突かれたスクードは尻餅をついて倒れた。
――私は、スクードを突き飛ばしていた。
やはり鍛えられている。大した痛みも無かったのか、ただ呆然と私を見つめている。

「ミュ、ゼット――?」

「触るな、触るな、触るな、触るな」

私は汚らわしいものでも払うようにスクードに触れられていた部分を払った。
そして、自分でも怖いくらい冷たい声で呟いた。

「私に、パートナーは要らない・・・・・・」

――その声はまるで自分の声ではないかのように聞こえた。





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