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旅人の唄 〜変才 前編〜



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才能と言うものは、確実にある。
敵と戦うのも宝を見つけるのも人を惹きつけるのも才能だ。
しかしそれよりなにより、重要なのは諦めないことだ。

――旅人の唄  6章 最後に、旅立つ者へ送る言葉より――





薄暗い部屋の中。得体の知れない臭いが充満し、お世辞にも人が住むに適した環境とはいえない。
そんな中でも動く人間がいるならば、それは人には言えない怪しげな研究をする魔女か何かに違いない。
が、違った。奇妙な色合いが中身の瓶や膨大な文字が綴られた書物で構成された山から現れたのは鮮やかな青。
まだ少し幼さが残る整った顔の青年。普段は整えられた髪も今は少し荒れ、多少はね気味になっている。
眼にもうっすらとクマが浮かび、明らかに疲労が溜まっている。しかし瞳は執念に輝き手元の試験管を凝視している。
ゆっくりと傾げ、左手に握られていた試験菅の中身が右手の試験管に触れた瞬間。
混ざり合った液体が紫を帯びた煙を上げ、青年の手の中で爆発。
「――!!」
瓶に使用されているガラスは無残にも衝撃で砕けた。
見る見るうちに四散した液体に侵された部分が得体の知れない症状を次々と引き起こしていく。
「おのれ鬱陶しい、さっさと治れ!ヒール
忌々しそうな口調で治癒魔法を唱え、額の汗を拭いながら息をふうと吐く。
一息つく間は無かった。床に散らばった液体が木が主原料の床を変化させていたからだ。
「……ふむ、考え方は間違っていないようだ」
意外にも冷静な声。青年はこの事態に至ってもまだ慌ててはいなかった。
と、その時青年の聴覚がある音を捉えた。どうやら、玄関に誰かが入ってきたらしい。
青年は変化を続けるソレを見て、少し考えると「まあ、いいだろう」と呟き部屋を後にした。



アリブ・ミラは一言でいうならば、恵まれていた。
未だ二十に届かない年齢だが、火、氷、雷の三種攻撃魔法。それに治癒魔法を熟練と呼ばれるほどに使う。
どころか、剣を使わせても騎士に匹敵する力を持っていた。
それを可能としたのは彼の性格だった。
今でこそ魔女の館そっくりのこの部屋も二ヶ月程前には爽やかな朝の日差しが差し込む綺麗に整頓された部屋だった。
しかし、彼がふとした拍子で薬学に興味を持ち始めてから1週間で今の様な状態に変わってしまったのである。
興味の持った物事に対しては異常とも呼べる速度で上達し、一流と呼べる能力まで研鑽する。
異常なくらいの凝り性。彼の持つ技術は全てその結果なのだった。

「で、何を作ろうとしてたんだって?」

そう問いかけたのは、やや褐色気味の肌を持つ青年ビスペダ。
実力はあるが傲岸不遜という一面を持つアリブの数少ない友人の一人であり、幼馴染である。
幸か不幸か、恐らく後者だが。偶然にも訪ねてきた彼は手際よく応急処置をすましていく。
「……幸福のポーション」
「――聞き覚えが無いな。効果は?」
「一日経つと別のものに変化する、らしい。面白そうだろう?」
「らしい、かよ」
はぁーっ、と大きく溜息をつきながら肩を落とすビスペダ。
友人の様子も全く気にせず、話を続けるアリブ。もっとも、視界に入ってすら居ないかもしれないが。
「少なくとも伝説や幻の類ではなさそうだ。実在はしている」
「……で、成功の見込みは?」
「僕を誰だと思っている」
自信満々に言い切る天才。しかしビスペダは分かっている。この天才が自信満々に語るときこそ真に警戒すべき時だと。
以前、魔法の修練をした時もそうだった。
実戦で使った方が上達しやすい、どうせやるなら強い敵の方が速いに違いないと向かったダンジョンで散々な目に遭っている。
本人は遠距離から魔法しか使わない。前衛で必死に頑張って攻撃を食い止めていたのはビスペダであった。
実は二人ではなく三人で行ったのだが、後の一人はある意味アリブと同程度に扱いが難しい。
それ以前に彼女――カルは弓使いなので前衛職は結局彼一人であった。
ビスペダが悪夢の回想に耽っている間にも話は一方的に続いていく。
「しかし、材料がわからんので適当にそれっぽいのを突っ込んだ」
「なんて無謀な……」
「心外な。僕の見立ては間違っていない。その証拠に変化だけはしたぞ」
確かに、変化はしている。ビスペダは呆れながら治療が終わった手を見た。治癒魔法では治りきらなかったのだ。
「……一応聞いておくが、何入れたんだ?」
「一応言っておくが、聞かない方が貴様の為だ」
親愛なる厄介な天才がこう言う時は本当に聞かない方がいいのである。
わざわざ気分を悪くすることは無い。その程度には、ビスペダは懸命だった。
「止めとく。想像してしまうからな」
「貴様にしては懸命な判断だ。それと」
「なんだよ?」
「頭が悪い貴様の為に言うとだな、変化したのは手ではない。床だ」
「床!?」
慌ててその場から飛び退りつつ、床を確認するビスペダ。多少の傷がついた年代物の木製床。普通である。
「ここの床が変わるわけが無いだろうが。使っていたのは研究室の方だぞ」
説明を求める顔をしてアリブを見る。
「そうだな。処理しない内に貴様が来たから放置しておいた。そろそろ対処せんと不味い頃合だ」

なんだよこれは、とビスペダは思った。
机の上に存在を誇示する巨大な花。机の脚には蔦が巻きついている。眺めているうちにもソレはうねうねと成長を続けている。
蔦は思い思いに伸び、その先々でそれぞれ棚なり椅子なりを侵食していた。
魔女の館そっくりの部屋が樹木という侵入者を受け入れ更に混沌の度合いを深めていた。
「予想以上の進行速度だな。僕が見たときはまだ芽が出て来ただけだったのだが」
「なにをのんびり言ってるんだ!? こんなのどうするつ――!?」
最後まで言い切る前にビスペダは沈黙した。いや、させられたという方が正しい。
理由は明白である。振り上げられた踵がビスペダの左足の甲を打ち抜ていた。
「騒ぐな鬱陶しい」
「お。ま、えな……!」
「赤くなったり青くなったり忙しい奴だな。植物は枯らしてしまえばいいだけだ」
そう言い捨てると、アリブは無造作に棚の方向へ歩いていく。
しばらくガサゴソと漁り、振り向いた時、手には透明な液体が入った瓶が握られている。
そして書物やら瓶やら蔦やらが散らばった床を器用に進み、元々の発生源である一枚の床板に2、3滴垂らした。
――劇的な変化がおきた。その生息圏を広めようと蠢いていた正体不明の植物が動きを止め、瞬く間に枯れていく。
まるで、即効性の毒物を多量に摂取してしまったかのように。
「って、まさか!?」
「考えていることを当ててやろう。1週間ほど前だったか? 偶然、資料に無い毒薬らしきものが出来たので保管しておいたのだ」
そして毒瓶を片手に持ったまま空いている手で顎に手を当てて考える仕草を見せる。
「植物に効くかどうかは分からなかったが、十分な効果が見られるな。ネズミの時よりも効き目が速かった。除草剤に使えそうだ」
驚いたのはビスペダだ。彼の脳裏では地獄絵図が描かれていた。
除草剤、もとい毒薬を地面に撒きながら進むアリブ。
後に残されたのは、草木はおろか生きとし生ける物が全て絶やされた不毛の世界。
ちなみに、何故か想像の世界ではビスペダ自信も死屍累々の中に加わっていた。
「馬鹿かっ!? そんなもん地面にまいたら辺り一面が死の土地に変わっちまうぞっ!!」
「馬鹿はお前だ。冗談も分からないのか? 僕がそんなことをするわけが無いだろうが」
面白くもなさそうな声でアリブは即答した。疲れたような表情をするビスペダを尻目に毒瓶を元の棚にしまう。
「さて、僕は仮眠を取るからな。後始末をしておけ」
文句を言おうとビスペダが振り向いた時、アリブは既に部屋の外。
ゆっくりと扉が閉まっていき――やがて完全に閉まりきる。
「……世の中間違ってる」




ジャッ、ジャッと何かを炒める音が微かに聞こえる。そんな幻聴をアリブは聞いていた。
そんな筈は無い、とドアノブを捻る。視界には2日前におきた時のままの乱れたベッド。
はずが、違った。綺麗に整えられている。まるで卸したてのような白いシーツがかかっているのを見てアリブはまたか、と思った。
僅かに眉をかしげるアリブ。思い当たる節があるのか、なんとなく窓際に近づく。
爽やか白いレースがそよ風に揺られていた。それをまるで蠅でも払うかのように手で払いのけ、アリブは窓を開けた。
屋敷の庭では髪を片側で縛った少女がフライパンを片手に料理に励んでいた。不法侵入者である。
視線という名の圧力を感じたのか、少女がこちらを振り向く。
「お帰りなさいアリブ、ご飯もう少しで出来るから待っててね!」
「僕は屋敷から出てなど居ない。そして僕は寝る。お前は帰れカル」
「えぇーっ、折角作ったのにっ! アリブはカルのこと嫌いなの!?」
「好きでも嫌いでもないが僕の邪魔をするのなら嫌いだ。二日間は寝ていないからな」
「むう、じゃあ一歩譲って添い寝をし――」
ドタドタと走る音をアリブは聞いた。バァンと後ろの扉が開かれる。
「許さん、許さんぞ! 俺は許さん!」
「あら、お兄ちゃん。どうしたの?」
そう、ビスペダとカルは兄妹なのだ。それがビスペダの悩みの種の一つである。
ここで補足しておくとカルの奇行は今に始まったことではない。それこそ、数え切れないほどカルはアリブの家に出現している。
理由は到って明白。カルはアリブを好いているのだ。アリブ本人がどう思っているかは問題ではない。激烈な一目惚れで片思いである。
「どうしたもこうしたもあるかっ!? アリブに限って万一のことがあるとは思わないが嫁入り前の娘が独身男と一緒に寝るなっ!」
「僕を挟んで怒鳴るな。うるさい。僕は寝るのだから外へ行ってやれ」
そう言いつつ、手をひらひらさせながらベッドに向けて歩を進める。
「――そうだ。ビスペダ、僕が起きるまでにそこのカーテンは元に戻しておけ。貴様の妹の不始末だ」
「だからなんで俺が!?」
「今言っただろうが。真性の馬鹿なのか? もう一度だけ言ってやるぞ。貴様の妹の不始末だからだ。
もう一度と言うならば、炎系魔法ファイアボルトで分かり易く説明してやる」
それだけ言うとさっさとベッドに潜り込んでしまった。先ほどの言動は脅しではなさそうだ。
人の頭ほども有りそうな炎塊がアリブの頭上を漂っている。当たれば標的は2、3mはぶっ飛ばされてしまうだろう。
加えて火傷の効果で最低でも2、3日は強制的に寝込むことになりそうだった。
大きくため息をつきつつ白いカーテンを外していくビスペダ。
不意にその手が伸びる。手の先には妹の首根っこ。こそこそと潜り込もうとしていたのだ。
「お前も来い」
「むー、邪魔しないでよー」
「駄目だ。初級ならともかく中級になったら死を覚悟しなければならなくなる」
ついでに、研究室の片付けもまだ途中だしな。そんなことを思いながらビスペダは部屋を出た。






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